マーケティング ドルフィン



電脳市場”裏”本舗
”素人” Marketing Opinion



最新の記事へ
過去の記事へ
このサイトについて
メールマガジン
たべログ
モブログ
作者へのメール

Copyright (C) 1998-2010
WhiteWood Company.
All Rights Reserved.

2003/01/03    

海豚 # 93.

渋谷の朝

通勤の10分に思う人生後半

<1> 朝の匂い

僕は、朝の匂いが好きだ。朝起きて、とにかく窓を全開に明けて、朝の匂いを感じる。朝の独特の柔らかい日差しであったり、雨でたっぷりと湿り気を含んだ空気であったり、頬を切るほど冷たい空気であったり。

天気がいいと小鳥のさえずりが聞こえ、曇りだとカタツムリがゆっくりとベランダの鉢植えを歩いていたり。木々たちが一斉に酸素を吐き出していて、ひっそりとした夜を過ぎて、一日のうちでもっとも澄んだ空気だ。

その独特の空気から、一日の活力をもらえる気さえする。たとえ都市の中に生活していても、この瞬間だけは、あの自然の匂いを感じ、自分が自然の中に生かされている事を再認識させられる。成分など知らないし、調べる気もないが、これがいわゆるマイナスイオンなのかもしれない。

田舎へ行けば、美味しい空気を感じるのに似ている。

<2> 渋谷の朝(改札からセンター街)

ここ半年ぐらい、渋谷からバスに乗って初台まで通っている。渋谷駅発のバスであるのだが、人込みの中を歩くのを避けて、公園どおりにある一つ目のバス停まで歩いていって、そこから乗り込む。と、いうわけで、渋谷の朝の街を少しだけ、毎朝、歩くのである。

まず、東急田園都市線の改札を出て、旭屋の横の階段で、地上まであがる。ここのあたりの地下が、なんとションベン臭いのである。109の地下のあたりがもっとも臭いのであるが、旭屋の前まで臭い。朝、猛烈なラッシュにもまれてやっと、開放されたら、ションベン臭いのである。これだけで相当めげる。

旭屋の階段を上りきると、センター街に面しているパン屋がある。朝のパン屋らしく、焼きたてのパンのいい香りが立ち上る。が。ションベン臭さもついて来るのだ。せっかく、朝のパン屋の香ばしい香りを胸一杯に吸い込もうとすると、ションベン臭さを一緒に吸う事になる。(^^ゞ オェッ。

<3> 渋谷の朝(センター街から公園どおり)

円山町で素敵な(?)一夜を過ごし、やけに黄色くまぶしい太陽に照らされながら、道玄坂をけだるく下ったことのある人はご存知だとは思うが、渋谷の朝は、ゴミの街である。いたるところに、回収前のゴミが山のように積まれている。

朝のセンター街も同じで、ゴミの山と黒煙を撒き散らす、ゴミの回収車があふれている。人が歩いていようがお構いなく、ぶおーーーっと、黒煙を上げて、ゴミを漁りまわる。もう、ゴキブリをみているようである。

よくぞこれだけ毎日毎日ゴミがでるなぁ。と感心するぐらいの量である。居酒屋やレストランからでる大量の残飯や料理の屑。これでもかというぐらいに巻き散らかされた吸殻や空き缶。

その上を歩くのさえ憚れるような街の姿である。暗闇が隅々を隠して、ネオンがきらめく夜には、感じない不潔さである。人が生活をするには、飯も食らし、うんこもする。肉や魚だって食らうし、もちろん、野菜だって食らう。ゴキブリ並みの繁殖力で地球の隅々まで、勢力を伸ばしている。その事自体を、恥じたことはないが、しかし、この渋谷の朝の宴の残骸を見ると、人でいることを恥じたくさえなる。

他に、これほど地球を汚す生物がいるか?人が死に絶えた地球を想像してごらん。きっと、地球は、澄んだとっても美しい星に違いない。

<4> Re-Fill

ゴミ回収のゴキブリカー以外にも、朝の渋谷には結集してくる車がある。自販機に缶コーヒーなどをRefillにまわる車である。自販機という自販機の前で、ドンドン新しい飲み物が詰め込まれて行く。その缶が、呑み終わった後、何処に捨てれられるかなんてこともお構いなしに。

ドンドン、ドンドン、ただただ、つめられて行くのである。毎日、毎日。

センター街を越えて、井の頭通りを渡ると、麒麟ビールのお店が地下にある。ここには、ビールの樽が、毎日、毎日、運び込まれる。毎日、毎日。そう。商売をするには仕方ない。だって、売れるんだから、仕入れているだけ。でも、ぼくは、毎日、毎日、消費されているそのビールの量をなんとなく知ってしまう。

きっと、お店の店長は、笑いが止まらないのじゃないだろうか? どんどん、どんどん消費されて行くビール。

ぼくも、ビールは、いやお酒は全般に大好きなのだが....あれだけ、仕入れの現場を毎日見ていると、もう少し、他の方法でリラックスする方法を覚えたいものであると思う。が、きっと、今日もネオンの街に消えて酒を呑む。

<5> 営業前のミッキーマウス

ロフトの横を抜けて、公園通りに出るのであるが、公園通りの角には、Disney Storeがある。別に、Disneyの商品が台湾や中国で大量に生産されていることは、頭ではわかっている。

しかし、今まで、触れて来たDisneyの製品たちは、すでに営業中のキャラクターたちなのである。つまり、しかるべきところにDisplayされていて彼等は、すでに笑顔で愛想を振りまいている。

しかし、僕がその横を通る時間には、毎日、毎日、日通が運び込む営業前のキャラクターたちなのである。全部同じの透明の箱にぎっちりと、きっちりと並べられていて、愛想笑いの一つもしていない、工場を出荷されたままのミッキーたちである。

我が家のプ〜さんは、娘のはじめてのChristmasにサンタさんが持って来てくれたものである。奴は、荷物としてではなく、飛行機のシートにすわり海を渡り日本へ運ばれてきた。旅行する際も、必ず、娘の手には、奴が抱かれている。

それは、すでに、大量生産された”物”ではなく魂や人格を持った”一人”として扱われている。営業前の”物”と、娘が愛してやまないプ〜さんとのgapがなかなか、自分自身の中で消化しきれない。

<6> 丸井の上に上る太陽

そして、公園通りを少し上りバス停でバスを待つ。長くて5分程度の間である。丸井の上あたりに上ってきたお日様の光が、だれにも、平等に、そして、やけにまぶしい。

ほんの少しだけ、ここには僕の好きな朝の匂いも感じるのだが、公園通りに植えられている樹木達の悲鳴が聞こえる気がする。たった、10分程度の渋谷の朝の風景であるが、自分を押し殺しているのが結構辛い。

本当に豊かな人生を送りたいと、年の初めに、心から思う。

前の記事へ

次の記事へ



最新の記事へ  過去の記事へ  このサイトについて  メールマガジン  たべログ  モブログ  作者へのメール  Syndicate This Site

Imagine all the people living life in peace... By John Lennon
Last update: 2003/05/12